桜の実の熟する時 2/2

 続きになります。

 さすが文豪というだけあって、やはり描写の繊細さは異常なほどです。消化中の私のメモより、「描写はしっかり安定しているのに桜の花びら一枚の落ち方が少しでも違うだけで全てが崩れてしまいそう」。緻密に計算されたかのように繊細で、緻密な計算にほつれがないからこそ安定している……といいますか、全くと言っていいほど粗がないです。

一度するすると読めれば、捨吉(島崎先生)が見ていた当時の風景が微細に目の前に広がります。自然主義文学ですので、日常で起こりうるあらゆる事柄は書かれていますが、どれをとっても美しいと私は思いました。たとえば、捨吉の寝依を洗ってくれている下女の場面。

『下女は盥(たらい)の中の単衣を絞ってお婆さんに見せた。それが絞られる度に捩じれた着物の間から濁った藍色の水が流れた。』

まだ思春期の済まない捨吉の着物は、がんこな皮脂がなかなか落ちませんね、と目の前で話され、とても恥ずかしい。という場面です。上記の文の後に『憂鬱――』と、成長期の体の変化を嘆く一連の語りが入ります。

 羅列されている事柄自体は、私たちの体に起こる様々の変化、代謝のそれらで、決して美しいとは言えないものたちですが、組み上げられた文章はどこが欠けてもおかしいように大変綺麗にまとめられているのです。おかげで、自分自身の記憶の底にある成長期の悩みが捨吉と同じように思い起こされ、生々しく脳裏に焼き付きます。

 

 捨吉の人生を文字で追いつつ体験している……今でいうところのVRに近い感覚だと思いました。この例えは突飛なうえ誇張もありですが、的外れでもないと思います。実際に体験している感覚と類似しているわけで、作中で一日が過ぎると私の脳も一日分の記憶が増えているような錯覚を起こし、変に気疲れしながら読み進めました。とはいえ、読了後の充足感は保障できると思います。

 

 島崎先生の著作を読もうと思い立ち、書店へ行って吟味し、『初恋』や『夜明け前』ではなくなぜ『桜の実の熟する時』を選んだかはちょっと覚えていませんが、これを島崎藤村入門に読んだのはチョイスミスだったかなあというのも正直なところです。なんせ長い、濃い、平坦ですからかなり根気がいりました。他作品は未だ読んでいないためわかりませんが、もう少し短いものか『桜の実~』以外を最初に読むことをおすすめします。

 自分の日常と同じ空気感でゆったりと物語は進行するので、はらはらドキドキの作品よりも、まったりしたい人にはお勧めの一冊となっております。